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日本の歴史と韓国の歴史の秘密の中で

私の先祖の背景 


今の私の背後には数多くの先祖の人生の上にある。

犠牲になられた多くの先祖、幸せを全うできない人生も多くあったし人の幸せを築き上げられない負債も残したことでしょう。

 

今日は我が先祖の背景を日記に残しながらご先祖様に感謝したい。

私の先祖の背景は、秀吉公時代の朝鮮出兵にも関与しただろう島津義弘公配下の肝付家(明治維新時代に小松帯刀公を拝出する)の足軽大将だっただろうというのが現在の私の先祖探しの祈りの中で得ている考え。朝鮮から多くの人々を連れてきて日本に定着した方々とは深い縁がある。連れてきた張本人かもしれないし連れられてきた先祖がいたかもしれません。もしかすると連れられてきた先祖と結婚したのかもしれません?

関が原合戦時、島津義弘公配下で参戦したが、義弘公はじめ一部は本国薩摩に帰国できたが私の先祖はこの地で行方不明となり薩摩に帰国できないままに現在の岐阜、愛知一宮地方に隠れ住み、定着したことと推察される。私の先祖の直属の上司は義弘公を守り殉職した肝付兼護だったのではないか?

この情報は正確ではないかもしれないが祖父からの言い伝えで当時の槍があったというからまんざらでもないだろう。もう少し詳しく調べておきたい。いずれ氏族復帰の先祖慰霊祭で発表できるよう研究準備しておく。氏族の祝福家庭としての族譜を編纂していく準備のためでもある。

現在一宮市高田の浄土真宗 宝光寺の檀家に属しているが、その寺の住職はまさしく丸に十字の島津家の家紋、島津住職だから関が原合戦以降の戦没者と行方不明者を弔い庇護してきた拠点としての寺であっただろう。

薩摩本国への帰国がかなわない以上出家して義弘公からの支援と状況視察の任務を託されていた寺ではないかと推察している。

父はこの寺の篤信信徒の一人だった。立場は昔も変わらない縁がある。

この島津住職と寺は

父は生前40年間報恩講ということで浄土真宗的に氏族の復興を継続してきてくれた土台がある。この土台で私はTPに出会うことができたことは事実である。