東京候補地 1
候補地と具体的準備の手立て
1. 候補地探し
相対者の実家にあたる懐かしい高円寺付近も視野にいれているが、
メイン候補地は東京駅へのアクセスのいいところ。
銀座、有楽町へ歩いて行けて、築地までも歩いて行ける範囲。
気になるAirbnbホストの民泊があるので明日はまずそこを視察。
清掃代を宿泊費と関連づけどう設定するか調べるのは宿題。
2.. 180日対策続き
今日の気づきとひらめき
中国人、台湾人の宿泊客には中国語を教えてもらえれば割引もしくは特典を考える。同じ教材を順番に進めていけば教える人が違っても問題なくこちらの今後の準備 のニーズにも答えられる。現実的に環境が中国語習得の必要性になってきているのは天の要請と思える。2018年中国語習得完了目標に対して手つかずのままの遅れを取り戻す秘策になるかも。インバウンドと民泊と宣教準備には中国人との意識疎通も必修。
民泊新法では年間180日が上限となりそうである。
Airbnbでもそれ以上の顧客は確保できないよう規制されるようだ。
その対策上、中国人、台湾人顧客には中国語講座、韓国人には韓国語講座、勉強会で民泊以外の直接契約の方向性を準備する。
3. 運営のアイデア、視点
周辺ホテル、旅館などの宿泊費を把握して20%は最低安くする値段設定。それでいておもてなしレベルはホテル旅館と同等もしくはそれ以上。プロフェッショナルなおもてなしの実力を箱根旅館にいる間に身につける。
顧客の3分1は日本人に対するサービス案、顧客の誘致案は今後の宿題
ラスベガス、ソウルの平和愛する世界人 おもてなし宿 系列民泊は各場所で連携して顧客誘致案内をする。
リピーターへの特典は直接契約の場合は支払わなくてもよくなったAirbnbの手数料分でサービスに回す。もしくはクーポン券発行する。
日本においては日帰りの温泉かランチセットなど。自前のカレーかコーヒー券でもいい。工夫する。
東京は大田区以外は住宅宿泊事業法制定なしでの開業は基本違法になる。違法民泊は規制される前に登録準備をしっかり準備する。
住宅宿泊事業法はいつ施行されるかまだ、そもそもわかっていない。
こちらの情報は注視していく。
いずれは簡易宿泊所の認可をもらうもしくは民泊特区問題なく年間を通して稼働できるところにする方が収益は安定する。また堂々と誇りを持って進められると考える。
しかしその段階まで引き上げるには準備に投資がいるので簡単にスタートできない。
まずはスタートできる民泊方法で始めながら対策を練っていく。
東京オリンピック時までのインパクトと発信力、今後のグローバルシチズン教育と我々のミッション紹介にはコンプライアンスは遵守すべき。
4. 事業成長過程
蘇生(ともかく自己基盤で民泊開業、運用実践研究 把握)、
長生(住宅宿泊事業法登録もしくは簡易宿泊施設申請、投資拡大)、
完成(ラスベガス、ソウル 開業、必要ならクラウドファンディング、投資家募る)の三段階成長で。
直接主管 ( tp故郷 民泊特区交渉 )
正々堂々の民間家庭企業で勝負。法人化は3ヶ月の結果を見て決める。
5. その他
ラスベガス民泊の法律上の問題把握と投資目標額と年間収支2017年で実現可能性を把握。
東京 青山根津美術館
デービット、アーキンソン氏の新観光立国で紹介のあった美術館。外国人向け展示、ガイドで高く評価されている。
こちらも視察先に取り入れ研究しておく。
民泊新法 住宅宿泊事業法(仮称)まとめ
民泊新法 住宅宿泊事業法(仮称)について以下リンクを参照にまとめておく。
基本全文とポイント
https://minpakukyoka.com/shinpou-eigyo/
他まとめ
https://minpakukyoka.com/shinpou-eigyo/
民泊新法(住宅宿泊事業法案)では住宅専用での営業も可能に!法案の内容が固まる。 | 「民泊」ねっと
コンプライアンスは徹底し知恵深く対応する。
クラウドファンディングは検討しないのかと友人が提案してくれたが、基本的に誰でも取り組める、草の根ムーブメントから。いきなりは考えていないというか今は考えていない。
まずは自らの基盤で開拓して実践してそれで次のステップへの投資が必要な場合は検討する。
平和を愛する世界人のおもてなし民泊 One Global Family House立ち上げ流れ
住宅宿泊事業法の制定施行に伴い、全国どこでも基本民泊は法律上許可される。しかし営業日は180日以内。
そこで 180日ではそれのみに専念する事業としては収益は現実的に厳しいだろう。プラスアルファの副業ならその分収益になるのでやらないわけはない。
投資型、文化交流型、それぞれの状況 強みを活かして取り組める。
この民泊開業ノウハウとパッション、アイデア、外国人対応に問題がなければ基盤なしから始められる。私の場合は親族の復興、平和大使活動、公民教育、韓国、日本、アメリカの連携を目指す上でも我々CIGの強みを活かした経済基盤づくりの事業として向いていると考え、私自身の強みともに相まって挑戦することにした。
開業と運営に向けた概ねの計画と流れは以下にまとめる。
3月26日 物件、開業場所の特定
物件購入または賃貸の交渉手続き
Airbnb, Homeaway登録手続準備開始
独自ホームページとラインアカント、Facebook, ツイッター、インストグラム、Youtube登録発信開始準備
4月 ラスベガス開業準備開始 ラスベガス聖地観光ガイドまとめ
5月5日 志を立てた30年の節目でプレ開業
各登録手続き完了
5月 31日 箱根 老舗旅館 外国人顧客対応請け負い終了独立
6月 1日 平和を愛する世界人のおもてなし民泊ハウス
One Global Family 公式開業
住宅宿泊事業法の施行に合わせ各署へ登録
7月 運用見直し①
8月 運用見直し②
180日間で運用 オペレーション、サービス改善定着
12月31日までは180日以内なのでオッケー
月間25日の稼働率目標
3ヶ月かけて収支決算で運用可能であれば継続決定8月31日決定
12月31日までに180日問題への対処法を決定する。
状況に応じて簡易宿泊施設としての申請または民泊特区での開業を検討する。またはマンスリーまたはウェークリ宿泊所、下宿、文化交流拠点など対応方法決定する。
年末年始韓国清平訪問に合わせて韓国ソウル開業準備開始
2018年 韓国、ラスベガスで開業
2019年 北朝鮮での開業認可交渉 中国開業準備
2020年 親族の復興 北朝鮮で開業 北東アジア経済共同体へ観光立国民間 優秀事例として紹介される。北朝鮮に観光立国、特区開設提言
2030 中国 北朝鮮、韓国、日本 共同開催のサッカーワールドカップ誘致支援の原動力になる。
まずはこの流れで毎日の努力を積み重ねる。
日本の歴史と韓国の歴史の秘密の中で
私の先祖の背景
今の私の背後には数多くの先祖の人生の上にある。
犠牲になられた多くの先祖、幸せを全うできない人生も多くあったし人の幸せを築き上げられない負債も残したことでしょう。
今日は我が先祖の背景を日記に残しながらご先祖様に感謝したい。
私の先祖の背景は、秀吉公時代の朝鮮出兵にも関与しただろう島津義弘公配下の肝付家(明治維新時代に小松帯刀公を拝出する)の足軽大将だっただろうというのが現在の私の先祖探しの祈りの中で得ている考え。朝鮮から多くの人々を連れてきて日本に定着した方々とは深い縁がある。連れてきた張本人かもしれないし連れられてきた先祖がいたかもしれません。もしかすると連れられてきた先祖と結婚したのかもしれません?
関が原合戦時、島津義弘公配下で参戦したが、義弘公はじめ一部は本国薩摩に帰国できたが私の先祖はこの地で行方不明となり薩摩に帰国できないままに現在の岐阜、愛知一宮地方に隠れ住み、定着したことと推察される。私の先祖の直属の上司は義弘公を守り殉職した肝付兼護だったのではないか?
この情報は正確ではないかもしれないが祖父からの言い伝えで当時の槍があったというからまんざらでもないだろう。もう少し詳しく調べておきたい。いずれ氏族復帰の先祖慰霊祭で発表できるよう研究準備しておく。氏族の祝福家庭としての族譜を編纂していく準備のためでもある。
現在一宮市高田の浄土真宗 宝光寺の檀家に属しているが、その寺の住職はまさしく丸に十字の島津家の家紋、島津住職だから関が原合戦以降の戦没者と行方不明者を弔い庇護してきた拠点としての寺であっただろう。
薩摩本国への帰国がかなわない以上出家して義弘公からの支援と状況視察の任務を託されていた寺ではないかと推察している。
父はこの寺の篤信信徒の一人だった。立場は昔も変わらない縁がある。
この島津住職と寺は
父は生前40年間報恩講ということで浄土真宗的に氏族の復興を継続してきてくれた土台がある。この土台で私はTPに出会うことができたことは事実である。
子どもの成長に教えられて
名古屋の小学校で8年間教育の現場で勤務しながら日本の子どもたちの未来について考えた。様々な親の愛と地域の方々、先輩、同僚、後輩教師の取り組みには愛情と知恵、経験にもとづく教育への努力を見た。
もちろん私なりに努力もした。新卒の頃、先輩教師にいわれた、一言が今でも思い出される。
「岩田先生、子どもたちが朝顔の成長日記を毎日つけていますが、あなたは子どもの一日の一日の成長がわかりますか?、朝、子どもの顔を見ただけで、一日の子どもの成長や家庭での取り組みでの努力や悩み小さな成長や小さな傷に気づくようになるまではまだまだプロとしては言えませんね。」
それから、私は担任した一人一人について日記を通して成長する子供達を見つめながら小さな成長を見逃さないで、子供達とともに成長させてもらった。
日記を読みながら添削しながら子どものことを考えたり家での生活を思い浮かべたり行動を観察していくと朝子どもの顔を見ただけでなんとなく家で何かあったな、何か成長したな、なんか悩んでいるな?親が励まして送り出してくれたな、自信をつけてきたな、いろいろ感じるようになった。
24時間親の立場で祈り思いを巡らせていけばその一人一人の成長や課題が見えてくる体験ができるようになってきたのは5,6年たったころからかな。なんとなくピントきて感じた時は子どもの休み時間や、給食時間、日記を返す時など、よく聞いてみるとなるほど親とともに頑張ってるんだ。家で親に叱られてばかりで萎縮して自信をもてずにいるな。えっこの子ってもしかして天稟?すごいなど観察力や課題克服の知恵、時には子どもの知恵からこっちが教えられることも多かった。
一人一人の皆どうしているのだろう?
毎日の小さな成長は子供達とともに私も今日も成長していこう。
平和文化交流事業としての観光業 JTBとラスベガスから学ぶ
文化交流事業への応用 JTBから学ぶ
ラスベガスでTPの観光事業の開拓に携わり日本からのツアーを担当した。
ラスベガスに馳せ参じて、1年経ったころさすがに資金が底をつきミッションを撤退するか死守するか悩んだ時がある。
TPは自ら開拓前線にたっておられた。
まだまだラスベガスPBが人材も経済基盤も小さい中で基盤が動き出していな中開拓を任された者としては撤退はできない。
最後の燃料として日本への帰国費用と帰国後の少しの蓄えとなるため残してあった最後の資金を投入し背水の陣を決め込んだ。
明日の食費もないかもしれないし。。。シリアルとキムチとラーメンでしのいだかな。
でもなんとかここを死守したい一念だったように振り返る。TPとともに歩みたかったというかあつい情熱と夢をかなえて差し上げたい気持ちがそうさせたのだろう。時々、映画プリベートライアンのハリソンフォード役の隊長の気持ちと行動によく似た境地に感じて二世ライアンたちを守ってこの地を守りたい一心だったかな。バカといえばバカ。。。。かも。。。
TPABを教材としてラスベガスの角層を教育するよう使命を託され様々取り組んだ。
とはいってどこかから資金が来るわけでもなく、さすがに現実進まなくなり約一年活動資金を自活するためラスベガスで観光業に携わることにした。
JTBラスベガス支点でラスベガスの現地情報と現地のオプショナルツアーと顧客をネットで繋ぐ楽ナビサービスの立ち上げの現場を任された。今ではJTBの各支店で各観光地のサービスとし全世界展開されている。その実験的立ち上げに携わりラスベガスでの1年間の努力のかいあってそのサービスモデル成功が今やJTBの効果的なサービスとして全世界展開されているのは誇らしく嬉しいかぎりである。
この時、TPの観光業発展のために全てのラスベガス観光のノウハウを相続しようとJTBラスベガスオフィスで格闘しながら我ながら失敗もありながらも一つ一つ克服して良いサービスのモデルづくりに貢献できたと思っている。そして週に5日夜は仕事して相続して研究して自分なりにラスベガス観光のあり方をさぐりだしてきた。夜は観光業、昼は別ミッション。。。
ラスベガス観光ガイドは昨年概ね出来上がっているその成果でもある。
その活動の中でJTBのオフィスでいろいろと学んだことは今の観光立国論を理解する上で大いに役立っている。日本、ラスベガス、韓国、北朝鮮、しいては世界人類一家族実現の発展の方策の一つの新、観光立国論である。これは世界人類の観光立国論として整理実践されていくべきものと捉えている。
JTBは2009年ちょうど私がJTBオフィスで携わっていた2009年ごろから本格的にJTBの観光業のミッションの見直しと今後100年の発展のために大いに方向性を検証、反省、研究して転換した。
それが単なる観光業はツアー販売、観光販売ではない。世界の各地に新しい価値を創造する文化交流事業の担い手であること。
端的には観光業から文化交流事業への転換を図ったのである。
またその一つのグローバル戦略では日本人のための日本人による、日本の利益向けの片方向のツアー販売から双方向しいてはマルチな方向で各地がWinWin相互補完し合ってともに平和を生み出しながら発展していく新しい価値を生み出す仕事であると位置付けを改めた。最近では地方再生にもその方向性が果敢に挑戦し様々な成果を上げている。世界人類の発展、神様の元人類一家族実現つまり世界の発展に欠かせない視点であると考える。
平和文化交流事業としての観光業 JTBとラスベガスから学ぶ
文化交流事業への応用 JTBから学ぶ
ラスベガスでTPの観光事業の開拓に携わり日本からのツアーを担当した。
ラスベガスに馳せ参じて、1年経ったころさすがに資金が底をつきミッションを撤退するか死守するか悩んだ時がある。
TPは自ら開拓前線にたっておられた。
まだまだラスベガスPBが人材も経済基盤も小さい中で基盤が動き出していな中開拓を任された者としては撤退はできない。
最後の燃料として日本への帰国費用と帰国後の少しの蓄えとなるため残してあった最後の資金を投入し背水の陣を決め込んだ。
明日の食費もないかもしれないし。。。シリアルとキムチとラーメンでしのいだかな。
でもなんとかここを死守したい一念だったように振り返る。TPとともに歩みたかったというかあつい情熱と夢をかなえて差し上げたい気持ちがそうさせたのだろう。時々、映画プリベートライアンのハリソンフォード役の隊長の気持ちと行動によく似た境地に感じて二世ライアンたちを守ってこの地を守りたい一心だったかな。バカといえばバカ。。。。かも。。。
TPABを教材としてラスベガスの角層を教育するよう使命を託され様々取り組んだ。
とはいってどこかから資金が来るわけでもなく、さすがに現実進まなくなり約一年活動資金を自活するためラスベガスで観光業に携わることにした。
JTBラスベガス支点でラスベガスの現地情報と現地のオプショナルツアーと顧客をネットで繋ぐ楽ナビサービスの立ち上げの現場を任された。今ではJTBの各支店で各観光地のサービスとし全世界展開されている。その実験的立ち上げに携わりラスベガスでの1年間の努力のかいあってそのサービスモデル成功が今やJTBの効果的なサービスとして全世界展開されているのは誇らしく嬉しいかぎりである。
この時、TPの観光業発展のために全てのラスベガス観光のノウハウを相続しようとJTBラスベガスオフィスで格闘しながら我ながら失敗もありながらも一つ一つ克服して良いサービスのモデルづくりに貢献できたと思っている。そして週に5日夜は仕事して相続して研究して自分なりにラスベガス観光のあり方をさぐりだしてきた。夜は観光業、昼は別ミッション。。。
ラスベガス観光ガイドは昨年概ね出来上がっているその成果でもある。
その活動の中でJTBのオフィスでいろいろと学んだことは今の観光立国論を理解する上で大いに役立っている。日本、ラスベガス、韓国、北朝鮮、しいては世界人類一家族実現の発展の方策の一つの新、観光立国論である。これは世界人類の観光立国論として整理実践されていくべきものと捉えている。
JTBは2009年ちょうど私がJTBオフィスで携わっていた2009年ごろから本格的にJTBの観光業のミッションの見直しと今後100年の発展のために大いに方向性を検証、反省、研究して転換した。
それが単なる観光業はツアー販売、観光販売ではない。世界の各地に新しい価値を創造する文化交流事業の担い手であること。
端的には観光業から文化交流事業への転換を図ったのである。
またその一つのグローバル戦略では日本人のための日本人による、日本の利益向けの片方向のツアー販売から双方向しいてはマルチな方向で各地がWinWin相互補完し合ってともに平和を生み出しながら発展していく新しい価値を生み出す仕事であると位置付けを改めた。最近では地方再生にもその方向性が果敢に挑戦し様々な成果を上げている。世界人類の発展、神様の元人類一家族実現つまり世界の発展に欠かせない視点であると考える。